明治5年に岡山の貧しい農家に生まれた軍平は、母の愛によって育った。その母の願いは無事に軍平が無事に育って人の役に立つ人となって欲しいということ。だが貧しさから9歳の時に質屋に養子に出され、質屋を継ぎたくない軍平は、15歳の時に義父の家を飛び出してしまう。夢を追い求めて、東京で一人で生きることになった軍平は、印刷工として働きながら欧米から入って来た新しい学問を学ぶ。そして、キリスト教と出会い、これこそ人を救うためのものだと確信し、新島襄を慕い同志社に進学する。 貧しさの中、夢は常に追い続けた。その激しい情熱により、多くの人を惹きつけた山室軍平を、友人たちが支えた。そのお陰もあり、迷いや苦難を乗り越え、自分の道に向かって進み続けた。そして、救世軍に入り、苦しむ人たちを救おうと戦いが始まるのだった…。
「地の塩」について
この映画のタイトルは「地の塩 山室軍平」である。「地の塩」はキリスト教の聖書の中にある言葉だ。映画のタイトルは色々と悩んだ。そして、キリスト教を知らない人たちにはあまりなじみのないこの「地の塩」をタイトルにすることにした。 「地」とは「天と地」の「地」、私たちの生きている世界のことだ。 塩は白い。だが、塩にとって大切なのはその白さより塩辛さだ。人は、見た目よりも、中身が大切だということだ。人の見た目とはどういうことでしょうか。容貌はもちろんそうですが、男か女か、若いか年取っているか、金持ちか貧乏か、見た目で様々なことを人は感じる。そういったもの一切を含めて、それらよりも、その人の中身つまり精神が大事ということだ。また、塩は大根など他の食べ物に入ることによって役に立つ。野菜で漬物を作ったり、料理の時に調味料として使ったり、他の食べ物に入っていくことで塩は役立つ。同じように、人は周りの人々の中に入ることで初めて役に立つ。 聖書では「あなたがたは地の塩である」と書かれている。イエスが弟子たちに言った言葉だ。地の塩であろうとすることは、見かけでだからはなく自分の精神を大切にし、社会の中に入って役に立つような存在であろうとすることだ。 人のために尽くそうと思い、社会に入って自分のできることを精一杯頑張った山室軍平の生き様、「地の塩」はいい言葉だと思う。山室軍平の生き方をこの映画で見ていただければ、「地の塩」という言葉に例え馴染みがなかっととしても、この言葉で彼の生き様を感じていただけると思う。
母の愛に支えられて
山室軍平は人に役立つ人になりたいと思い、生涯をその思いに捧げた。
山室軍平は多くの愛に支えられて生きたが、その中で、最も大きな心の支えの一つとなったのは母の愛であった。母の愛は、軍平の思いを生涯支え続けた。
山室家は長男の善太郎は長い病気にかかり、そのため田畑を売り、貧しくなっていた。軍平はその八番目の末っ子として生まれた。母は、貧しさゆえに満足に育てられるか心配した。頼るもののない母は神様に祈った。
「神様。どうかこの赤ん坊が無事に育ちますように。無事に育って大人になって、人様にご迷惑をかけず、ちいとでもええことをするものになりますように」
母はその願いのために、卵を一切食べないことを神様と約束した。山陽山陰の背骨に近い山間にあった村は、海の魚などとうてい来るはずもなく、ご馳走といえば、川魚と野菜を除けば鶏の卵くらいのものだった。
軍平は小さい頃から、自分のために母が卵を食べないのを見て育った。しかし、貧しさのため、軍平は9歳のとき、質屋の伯父のところに養子に出された。軍平は、学校にも行かせてもらい、勉学に励むが、15歳のとき、質屋を継がずにもっと勉強がしたいと家出をして東京に行く。
一人で生きて行く決心をした軍平は印刷工として働きながら勉強をする。義父には縁を切られ、孤独で寂しかっただろう。まだ15歳の少年だ。やがて、キリスト教と出会い、新島襄を知り同志社に行くこととなった軍平は、先輩について岡山の高梁に伝道に行くこととなる。その時に本郷村の父母のもとに行き、本当に久しぶりに家族と会った。九年ぶりに会った母は変わらず卵を食べていなかった。母は、軍平がいない九年間もずっと、息子のことを思い続け卵を食べずにいたのだった。子供の頃は母に愛されるなんてことはあたり前に感じていたと思う。私もそうだった。私も親と離れて、親のありがたみを感じるようになった。ずっと一人で生きようとした軍平。母の愛が身に沁みただろう。
「ちいとでもええことをするものになりますように」
この母の願いも、強く心に響いただろう。
軍平は母の願いの通り、人の幸せのために生きようとする。軍平はやがて救世軍に入り、その活躍が全国に知られることとなる。軍平は故郷に帰り、「もう安心して卵を食べてください。栄養のあるものを食べて長生きして私の行く末を見守ってください」と母に言った。しかし、母は三十年間、死ぬまで食べず生涯を閉じた。
◎自己満足でない、人の為に事を為すということが素晴らしい。自分も少しだけでも、その気持をもって行動しようと思う。山室軍平は神に最も近いひとでした!
9月22日プレミア試写会アンケートより